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ノリで単車の免許を取ったはいいが、単車を買う金がない。金を作る気もない。生きてるってなんだろ。
「足から漂う臭いが、普段より一層きつい場合、人はその原因を探すより先にそれを愛する」(1922:アラン)と言いますが、ぶっちゃけあり得ない。木工用ボンドが厭なベクトルに力を働かせすぎたような、凝縮した、香。
中学校に上がったあたりの頃でしょうか。2つ上の兄の足が臭くてたまらなく、くせーよてめーと足蹴にして虐めていた記憶がありますが、高校に上がったあたりで私の足も合格点。臭ってくるとつい顔を背ける程になりました。
そういった、幼年期は体臭というものはない、もしくは殆ど感じない程度であるが、体が成熟するにつれ臭いを発するようになる、といった点は羊に通じますね。ラムからマトンへ。
そんだけ。とりあえずオチない。あとアランが臭いフェチであるかどうかは私の推測でしかなく、前述のような言葉を残したかどうかは考えるまでもない。申し訳ない。
3/23
2005年3月。もう3ヶ月もすれば二十歳。
所謂、"引き篭もり" & "ヲタ"という人が作る集団に於いておよそ目も当てられない程どうしようもなく受け入れられ難い2大要素を、この1年でかなりの高水準にまで育て上げてしまった。
ヲタはヲタで、まだヲタが対象となるそれなりに大きなマーケットが市場に存在、拡大すらしているし、金に糸目はつけない者が多いようなので国の、世界の経済の重要な位置をこれから得ていく事も多いに予想される。欧米諸国のアニメの放送時間の多さ、それによる幼年期における大きな影響を今の日本人よりもアニメという物から受ける事から、よりヲタ人口の増加を促すであろう事は実に容易に想像できる。十数年後はヲタの地位はアンダーグラウンドから高層ビルの最上階で2次元(もしくは創造したキャラクター)の良さなるものを、スーツを着込んだサラリーマンに声高らかに説く日もあるかもしれない。ヲタブランドも数々と生まれており、大手メーカーの「大衆性」よりも「局所性」を重要視した考えは、利益の少なさはあるものの特定の消費者を確実に得ることができるし、局所性が商品の多様化を促すかもしれない。実にニートでパーソナルな形態へと社会は、もしくは人の意識は変わってゆくのかもしれない。
何故かヲタ(ここではアニメ、美少女に並々ならぬ関心を持つ者として解釈している)を正当化しようと頑張ってみてしまったが、問題は引き篭もりである。その呼び名通りの生活は集団から隔離され、薄暗い部屋で個人の世界を形成する。
個人の世界といっても、自らが全ての要素を構築するある種の天才的な代物ではなく、他人の作った、自分が触れることによってその様相、動作をある意味固定的にしか表現できない「創作物」で構成された世界である。「自分のこころを他人が踏みにじる事」を最も恐れ、嫌い、自らを否定しないと判っているモノにしか興味を示せないのである。少なくとも人という集団を基盤に生きてきた引き篭もりは、他人が自分の全ての意見に同意し、好意を持つ事などあり得ないと知っているからそういった世界に篭ってしまうのである。実に弱く、脆い。
前述は全て私を観た上での考察であり、他にいろいろな引き篭もりが存在するだろう。ヲタについては今まで見てきた情報も踏まえているが。
結局何が言いたいのかというと、次の一句を見て頂ければわかると思う。
♪プリティでキュアキュア
♪ふたりはプリキュア!
おっしゃぁ、ほのか最高!(3ヶ月もすれば二十歳。)
※実は今までこんないいアニメだとは知らなかったので最近やっと初めから見始めたのは内緒だ